精神障害者ピアサポートセンター こらーるたいとう

活動事例

 

 

病院調査活動に参加して

――精神科病院に隠されている日本社会の本質

2015年の初冬に、退院率が極めて低いある病院を訪ねて、絶望的な気持ちに襲われた。日々に必要なタオル・下着・簡易な洋服のセットがレンタルで一日1,500円だという。月額にすると、45,000円だ。まさに貧困ビジネスだ。古いタンスの中におやつが管理されている病棟さえあった。空気の流れが悪いからだろう。ひどい臭気だ。マスクをしていないと、耐えられない。隔離室は狭い廊下で一般の病棟から隔てられていて、コンクリートの塊の中に、生身の人間が閉じ込められているような印象だ。設備はひしゃげてさえいるのだ。こうした劣悪な環境が、精神的な病がある人々を治療するところと言えるのだろうか?

 私が最も強く感じたことは、「日々、無事に過ぎてゆく」ことへの恐れだった。異議をとなえ、抵抗することがないと、こうした病院はこのまま存続していく。自分が勤務する病院を職員が批判することもなく、情報も一切入らず、面会に来る人もおらず、世話をしてくれる人々は病院の職員だけという患者さんたちが、病院に対して異議申し立てを続けることは困難だ。適応していくしかないだろう。職員は職務をこなすことにおわれ、一日一日が過ぎてゆく。

 患者さんたちは放置されているのだ。解放病棟や新築の病棟などでは、一見それは「自由」のように見えて、「のどかで穏やかな」印象さえ与える始末である。職員も「よくないことはよく承知している」という。そして声をかけてくる患者さんへ丁寧な言葉で「あとで」と挨拶をしてやりすごす。

 売店があるので、外へ買い物に行くことさえない。むしろ売店ができる前は患者さんを車で普通に商店に買い物に連れて行ったそうだ。散歩と言っても、山道や坂道が続いている。バスが通る公道に出ても、お金も持たず、目的も持たず、許可もなければバスに乗り待ちに出ていくことはできない。

 多くの病院が患者の金銭を管理し、管理料は一日100円から150円ほどかかる。自己管理が許される場合は、ロッカー使用料が一日100円から150円ほどかかる。金銭を管理する理由としていくつかの病院があげる理由は、硬貨を噛む患者さんがいるので、危険を回避するためというものだ。おやつも栄養管理や衛星を理由に管理する。服薬管理についてもかなり評判のいい病院ですら、退院が決まってから「自己管理」に切り替えるのだ。

 精神か病院での社会的入院者の存在が問題になったのは、昭和の時代からだ。「措置入院」が10年以上も続いている患者さんが大勢いた。初回入院で何十年も入院している人々も大勢いた。電気ショックについて「自分の思考能力が壊れてしまったのは、精神病のせいではなく、電気ショックのせいだと思う」「電気ショックが怖くて離院を繰り返した」と当事者たちはいっていた。そのうえ当時はロボトミー手術の傷あとを額に残している患者さんもいた。開放病棟に移すために優生保護法の強制不妊手術をされた患者さんもいた。私も昭和40年代、一時、精神科病院の患者であった。私が精神障害や食事や団欒にこだわるのも、この体験からだ。

 1984(昭和59)年宇都宮病院事件が起き、日本国内外を問わず大きな衝撃と恐怖を与え、精神障害者の人権について再考する契機となった。1987(昭和62)年に精神衛生法から精神保健法に改正されて30年。現在でも、精神科病院での暴行事件が警察に通報されることは極めてまれて、行政と病院の間で処理されていく。先に紹介した2020(平成24)年に被害者が亡くなり、やっと准看護師2名が傷害致死の疑いで逮捕されたのは2015年になってからだ。このように精神科病院での人権侵害が絶えないにもかかわらず、障害者虐待防止法で病院に通報義務はない。

 高齢になった患者さんは病院で亡くなっていく。大量の服薬させらら、運動量は絶対的に少なく、太陽のあびることも極めて少ない。しかも環境が不衛生なので、ノロウイルスやインフルエンザなどが蔓延しやすい。そのうえ精神科特例で一般医療から拒否されている。

 忘れてはならないことは、戦後70年間、社会は高度経済成長をとげ、バブル崩壊を経験した。そして現在は子どもの6人に1人は貧困状態にあると厚生労働省が発表している。日本の貧困は、人のいのちを大切にしないからではないだろうか。その象徴的な存在が精神科病院だ。この仕組みを支えるために、患者さんが拘禁され、人生を根こそぎに奪われてきた。さらにいえば地域社会が患者さんを排除してきたことは明白だ。このような歪な日本社会を支えるために、精神科病院という仕組みは存在し、患者さんたちが犠牲になってしまった。この構図は医療法や精神保健福祉法の法制度の上に成立しているのだ。

 今回の病院訪問の一番の成果は、精神科病院に勤務する人々と直接話すことができたことだ。彼らはもちろん精神科病院は必要だと考えている。しかし精神科病院の変えなくてはならない体質もよく知っていた。人手不足で外との連携も出来ず、研修会に参加しづらい。やりたいと思う病院の職員は地域の社会資源を信頼することが出来ない。地域の社会資源で働く人々も経済的にも時間的にもゆとりがない。だからなかなか両者は出会うことがない。両者をつないでくれるのが、患者さんへの支援であるはずだ。

 ドイツの作家レマルクの「西部戦線異状なし」という小説がある。彼が第一次世界大戦従軍の体験に基づいて書いた反戦文学だ。主人公の若い兵士が死んでも、司令部報告は「西部戦線異状なし」というものだった。翻って精神科病院の状況を観たとき、「精神科病院異状なし」では絶対にだめなのだということを、私たちは決して忘れてはならない。そのことをまざまざと思い知らされた病院訪問だった。受け入れてくださった病院の患者さんや職員の人々と、今後も協働していきたいと強く願っている。

 

活動事例

NPOこらーるたいとうの病因活動と退院支援活動

 こらーるたいとうは、ひきこもりやうつ病の体験をもち、精神科病院・共同作業所・所会社断崖等でソーシャルワーカーとして働いてきた私が、自立生活センターでピアカウンセリング、仲間による支え合いの必要性を実感し、精神障害者が中心を担う自立生活センターとして、10名程度の障害がある仲間、精神科医や教員や市民とともに設立したのである。

 こらーるたいとうで、精神病の体験をもつ人々はピアサポーター、それ以外のメンバー

パーソナルアシスタントと呼ばれ、活動の主体はピアサポーターであることが主張されている。またみんなで協力しあうこと、対等な関係を維持することを理念としてもっている。

 2004(平成16)年6月から都内のA病院の友愛訪問活動(地域移行支援)を始めることができた。こらーるたいとう主催の「ピアヘルパー養成講座」が修了者22名を出した直後のことであり、修了者の活動先を開拓していたことが、友愛訪問活動を開始した理由の一つである。また、同じ事務所で活動しているくれよんらいふが、東京都社会福祉協議会からの委託を受けて行ってきた地域福祉権利擁護事業が入院中の人も利用できるようになった年でもあった。

 こらーるたいとうの友愛訪問活動の目的は、支援の受け手であったメンバーが、語り部・ガイドヘルプ・生活支援を精神科病院の入院者や退院者に提供することにより、マイナス体験として認識していた精神障害体験をプラス体験として捉え直すことで、人間としてリカバリーしていくことである。「精神障害体験者だからこそできること」を尊重してきた。「支援者」という役割でなく、障害や病を抱えながら地域社会で生活している人々がありのままの姿で病院を訪問し、入院者と交流することで、結果的に「サポーター」という役割をになっている「仲間」としての活動である。つまり「精神障害体験者」として、ありのままの姿で「サポーター」になり、社会資源となりうることを示したい。こうした姿勢で退院促進支援活動を続けることが、こらーるたいとう、入院者、治療者等関係者のそれぞれにとって、エンパワメントになっていると考える。

 

活動事例

 

『仲間が作る仲間のための本』を制作出版しています。

既刊本:「BELIVE」「YES」「あったかいきもちいっぱいーピアサポートー」

「ピアヘルパー養成テキスト」「ピアサポートで世界をつなぎたい」

精神障害がある人々の自立生活ー当事者ソーシャルワーカーの可能性ー」(現代書館刊)

「こらーる物語」(ゆみる出版)

「社会的入院から地域へーピアサポートー」(現代書館)

です。

活動事例

障害者虐待防止法の改正を求めて

(以下本文はただいま準備中です。)

 

活動事例

――地域社会の中の差別意識と向き合うことの重要性

(以下本文はただいま準備中です。)

お気軽にお問合せ・ご相談ください

お電話でのお問合せ・ご相談はこちら
03-5819-3651
受付時間
10:00~16:00
定休日
土曜・日曜・祝日

お気軽にお問合せください

お電話のお問合せ

03-5819-3651

新着情報・お知らせ

2022/1/27
ホームページを更新しました
2020/08/28
「活動内容」ページを更新しました
2022/08/1
こらーるカフェのカレンダーを更新しました